Thursday, March 6, 2008

1999 story #1

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この手紙は、ダンハク(丹学、丹ワールド)でダンサという高い地位にいたチョンミョンジュという女性によって書かれたものです。この手紙には、1999年に辞職した彼女の、それまでダンハクの内部で経験した事実がそのまま書き記されています。「ススンニム」という用語は、丹ワールドの設立者であり、組織の内部で神様と崇拝される一指イスンホンを指す言葉です。丹学と脳呼吸を創始し、普及するイスンホンと丹ワールド(旧丹学禅院)内で行われる出来事です。


愛するサジェ(師弟)達へ、ソンファジャン(一指イスンホンからの格別な信頼と、彼女の団体における業績の象徴として、イスンホンによって与えられた号)チョンミョンジュです。

既に辞職願を出している私が、このような用語を使うのは不適切かもしれませんが、私達グループの中では親しみのある言葉ですし、自分が使い慣れた言葉でないと、皆さんに申し上げたいことが百パーセント伝えられないかもしれないと思ったので、今日一日だけ、このような用語を使うのをお許しください。今後、サジェ(師弟)やサヒョン(師兄)、ススンニム(師匠、精神的な指導者、案内者のこと)など、内部の用語は、公式的に使いません。

私に対して立腹している指導者の方もいると思いますが、もしそうだとしても、この内容だけは、天命を知ろうとし、理想人間一世界に向けて一緒に歩んできた、たくさんのサジェ達に、私はこのことを必ずお知らせしなければならないと判断したので、このような形でお伝えすることになったことに対して、皆さんのお許しを願います。
また、この手紙を先生にお見せするのではなく、インターネットに載せ、門中に辱をかかせることに対して、皆さんのご了解を願います。もし、この手紙をススンニムにお見せすることになったら、指導者の全員はこの手紙の内容を知らない場合も生じるでしょうし、また、「もうダンハクをご存じの方だけで10万人ぐらいだし、世間の考え方に合わせて、ダンハクについて捉え直してみることも必要だろう」という私の考えからでもあります。ネット上に手紙を載せるのがこんなに遅くなってしまった理由は、これまでの私の考え方からだと、(事態の)全てが私のせいで、私が負わないといけない個人的な問題だと判断したからです。しかし、今は、世間に堂々と発表できない道理は、理想人間一世界に向かう過程におけるその姿が全く見えないのだったら、その結果も一緒だと思います。
そして、丹学に関っている人が10万名もいたら、これはけっして個人的な問題として放置してはいけない気がするし、内部、特にススンニムを含めたダンハクの上層組織をあまりにも知らない指導者達が、ある一方の情報だけを信じ、何の判断能力なしに盲目的に行動したりすることも、きっとあるだろうと思いました。こうして私がダンハクの本当の姿を見るようになるまで、あまりにもたくさんの周囲の方たちの助けや努力があったし、自分の最小限の良心で、サジェ達に私が感じた真実を伝えることが、ダンハクにおける、サジェ達に対する私の最後の責任を果たすことだと考えたからです。

たくさんの方々が不思議に思います。天のように思っていたススンニムを裏切り、どうして私がダンハクから出て行ったのか、今でも私がススンニムを心から尊敬しているのか、まだダンハクを信じているのか、また一方では、私を保護するためにススンニムが私を辞めさせたという話もあるようです。
私はこれまで、専らススンニムへの信頼一つだけで働いてきましたし、ススンニムがなさる事は、すべて、理想人間一世界へ通ずる事、この事だけが希望であり、こうすることだけがこの民族とこの世の中を救うための最善の選択だと信じ、今日まで走ってきたのです。ダンハクの内部ではススンニムが最も中心的な存在でしたので、全てが当たり前のことだと思ってきました。
しかし、ススンニムがなさる事が、実は理想人間一世界とは程遠い、もう一つの権力と金を得るための事で、その結果、ダンハクは〈権力とお金から成る集団〉になるしかなかったということです。しかし、表では〈民族と人類のための団体〉を標榜しており、全指導者たちはそのことだけを信じて、それに命をかけています。
そのような答えを得るまで、私は本当につらい思いをしてきました。個人的にはススンニムにたくさんの愛や恩を受けてきたこと、またそれが自分の成長に役立ったことが私を苦しくさせました。このような事実は内部のことなので、ススンニムに先に申し上げて、内部から改革しないといけないのに、外部であばき出して、むしろ他の宗教団体などから悪く利用され、やっと起こりはじめた壇君(韓国の開国神)運動の動きまで妨げてしまうのではないか。
 また、関係のない人たちがこれを逆利用して利益を得ようとするのではないか。専ら一つの志を望んできたたくさんの指導者達、ダンハクの仕事に身を捧げてきたウォンサ(ダンハクの指導者の持つ一つの職位、自分の仕事を持っていながら、丹ワールドの仕事を手伝ってくれる人のこと)達が、似非宗教にハマった変な人たちのように認識されて、社会生活さえ難しくさせるのではないか。

また、その方たちが再び民族精神回復や壇君、弘益人間(広く人間社会に利益を与えるという韓国の伝統的な理念)理化世界(理を以て世を治めるという意)を言うのが自分自身をつらくさせ、絶望的な気持にさせるのではないか。

 今、自分自身が感じているように、道理や悟り、霊、この全てが自己満足であり、錯覚であると罵倒し、もう美しい世界を造るのは理想に過ぎないと諦めて、どうでもなれという態度で生きていきたくなる、そういう気持にさせるのではないか。

などの理由で、どうしたらいいか散々悩んだ末、最初は自分一人で辞めることに決めたこともありました。しかし、今は考えが変わりました。周りのたくさんの方々に待ってもらい、アドバイスをしていただきました。彼らは、私がたくさんのことを経験できるように守ってくれましたし、そのことで私が傷つかないように見守ってくれました。私は、彼らに丹学禅院(現 丹ワールド)が事件をどう解決していくかを直接見せてもらい、ススンニムやダンハクの真の姿を如実に見ることができましたが、このまま行ったら、ダンハクが本当に似非宗教になってしまうかもしれないという気がしてきました。

合う、間違うという判断は、私がするより、世間の判断に従うべきだと考えるようになりました。世間の人々は、意識のレベルが低く、間違った道を歩きがちなのでわれわれが教えてあげるべきだ、と指導者達の心の奥底にある選民思想は本当に間違っているということ、私がいわゆる世間のエリート層と言われるVIP(丹学禅院の基準像)を管理しながら、われわれは本当に見えない世界についてはあまりにも無知なのだ、人は本当に弱いものなのだ、たいしたことないのだ、と一方の部分だけを見て感じたこと、偏食をして、自分も知らないうちに、世間の人々の持つ大切なことの判断基準を忘れてしまいました。もう指導者生活を辞めて、いい方達の間で以前とは違うものを少しずつ感じている私としては申し訳ない限りですが、もう評価は世間の基準に任せてもいいと思えるようになりました。おかしい話ですが、この世の中は本当に広くて大きいのだということを通感します。是非をわきまえる以前に、全てのことは進化していくのみで、たくさんの人々がこの世の中を美しくするために努力しているということ、この一つのことだけは認めるべきであり、われわれはお互いに勉強しないといけないということ、十分そのようにできるということ、助け合い、励まし合い、同じ集団の中でも互いに学び合い、映し合いながら、それが世の中とかけ離れた閉鎖的なものではなく、開放的で明るいものでないといけないということ、溜まり水は必ず腐るということ、いかにも簡単で、当然な真理に今やっと気付くようになりました。それで、内部の指導者達が色々な情報を通じて自分で判断できる機会を与えることが、自分の最後の責任だと判断したので、私の知っている全てを知らせることを決心致しました。

今、この瞬間、自分が正しいと思ったことをしないなら、きっと、これからの私は自分を責めながら一人で苦しむことに違いありませんし、と同時に、心からダンハクの将来を考え、ダンハクを愛する気持から、この話を致します。これから記録するものは、日づけを除いた、私の記憶によるものです。私は普段、正確な年度と日にち、数字を覚えたりする習慣があまりないので、そのようなことを記録したら、むしろ嘘を書くことになってしまうかもしれないのでそれは省略いたします。そのような理由で、時間の順に記されておらず、最近のことが前に書かれて、それより前のことが後に書かれたりする点に関しても、ご了承いただければと存じます。

~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・

私が、最初に名誉師範をしていた場所は、ソンアムジャンが名誉地院長だった、ソウルのある地院だった。ソンアムジャンが、ファルゴン(ファルゴンとは、ダンハク用語では、ひとつのメッセージを意味する)をやってくれるというので、横になった。ソンアムジャンは、ファルゴンをやってくれながら、服の上から私の身体の秘密な部分に触った。彼は、「ここに触ることは、顔に触ることと同じようなものだ。お前もその違いを意識しないがよい。それでこそ、性にかかっていないといえるのだ。ジョンサ以上は、男でも女でも、いつでもサジェが性にかかって要求してきたら、同寝してよい」と言った。その後、地院で私が疲れてちょっと横になっていたら、ある男の師範がキスしようとした。
 私は拒否した。その師範は私に詫びたが、「お前(ソンファジャン)の性的なエネルギーのせいだ」と言った。

その後、私が予備師範として行った地院のセンター長と師範が、今のアリジャンとク・デグン師範だった。

その時、ク・デグン師範は、ダンヨンジャン(女性)と付き合っていたが、ダンヨンジャンが妊娠して大変な時期だった。私は、どうしたら性的な偏見を乗り越えられるかが気になった。それで、禅院長のジュンサンジャンが訪れた時、それを聞いてみた。彼は、3年間のクムチョク(禁触)について話してくれた。

私の同期たちは、最初は8万ウォンをもらいながら、予備師範の生活をしていたが、それではお小遣いにもならなかったので、私たちはサヒョン(年上の指導者)達に、服や食べ物などの援助してもらっていた。私は、教育を受け、ウォンダン地院に行くことになった。そこでの私の実績はかなりよかったので、私たちの同期の中では、最も短期間で地院長となった。私はいつもお祈りをした。周りに会員がいない時は、声に出してぶつぶつと呟いていた。それが私の生の指標だった。

理想人間一世界のために殉教します。私を見えない基肥にしてください。私をススンニムの分身にしてください。

私は、そもそも、私個人の悟りや道理、霊的な世界には興味がなかった。私は、自分がどうするかによって、この世の中が美しくなることも、人の心を生かすこともできると強く信じていた。ここでの仕事をきちんとやれば、全てがかなうと思っていた。私は、最初に地院長になった頃、専ら、実績のことだけを考えていた。人の心はお金で確認できるものだし、人を生かすことが実績として表れるから、それでいいと思っていた。
うちの組織は、送金の多い順で、地院長の業績が評価されることになっていた。したがって、たくさんのお金を本部に送ることだけが私の目標だった。私は、食事をとる時間ももったいなかったので、ご飯に水をかけて食べた。お風呂に入る時間、スーパーに買い物に行く時間ももったいなくて、ほとんど外出をしなかった。トイレに行くときも、携帯を手に取ったままだったし、いつも非常状態だった。寝る前には、いつもお祈りをしたし、会員一人一人のことを思い浮かべながら祝福の祈りをした。そして想像をした。その時、チョンファウォン(韓国ヨンドンに設立された、ダンハクのヒーリングセンター)には工事が進行中で、私は会員一人一人が工事現場で危険なことが起こった時、私が命をかけて彼らを助けてあげる想像をした。私は、毎日午前4時に起きてトレーニングをし、お祈りをした。その祈りの内容は毎日同じだった。「(理想人間一世界のための)見えない基肥となって、ススンニムの分身として働かせてください。」実績は最高だったし、私はスターになった。全体のビジョンは、地院一〇〇個開設(ウォンサ達に銀行利息、または無利息で借用、あるいは誠金で開設)と、一地院当たりに一〇〇〇万ウォン以上送金(開設資金と支出を除いた純粋送金)だった。私は、次第に人がお金に見え始めた。それは、私を激しい内的葛藤へと追い詰めていった。

私はますますドライで乱暴な人になりかわっていった。抱えている師範達に悪口をたたいたり、殴ったりもした。私には、鉄人、冷血漢、毒種というイメージが付いて回った。体調は、悪化していく一方だったが、実績はますます良くなった。私の地院は2000万から3000万を本部に送金していたし、地院を出すため、ウォンサ達が何億ウォンも借用してくれる、ベスト地院となった。私は、会員たちにとっては天使のような存在だったし、希望でもあった。たくさんの人々が、私一人を見て寄り集まってきた。

私は、その人たちに理想人間一世界を知らせて、ススンニムとのつながりを作ってあげるのが自分の使命だと思った
私の体調は悪化していく一方だった。内部では、毒種という悪い評判がつきまわった。内部での評価基準は、第一が送金、二番目は、センターを出すためにお金を借りてくれる、ウォンサをたくさん輩出すること、三番目は、内部の指導者をたくさん輩出することだった。それで相対評価をした。その三つの基準が達成できたセンターのセンター長を、優先的に評価した。私はいつも最高の指導者だったし、スターだった。

私は、この全てのお金が、理想人間一世界のために必要なもので、組織の拡大は、即ち理想人間一世界の実現だと思ったので、どういう方法でも、達成さえすればよいと思った。しかし、私の体の調子は段々悪くなっていった。お金を設けるには、会員の心がつかめないといけない。私には会員達が求めるものが何であるかが分かっていた。それには、演出が必要だった。とても明るい姿だけを見せること、天使の姿だけを見せることだった。そして、会員との一定の距離を置くこと、もう一つは、毎日、朝4時にトレーニングをし、会員達のために祈ること。

私は、次第に寂しくなっていった。

私はダンハクの顔だったし、私が手がける、全てのことは、皆の見本となった。禅院では、私が演出して運営する規定が、全指導者達に教育されるようになった。私のセンターには、たくさんの師範達が私の教育を受けにきた。
 ススンニムは、私的な場でも公的な場でも、よく私を誉めてくださった。私の身体の調子は非常に悪かったが、私はそれが、自分の身体を乗り越えていく一つの過程だと思って、気にしないことにした。いつも、理想人間一世界のために殉教しますと祈った。寝るときも、会員カードを体から離さなかった。しかし、私と一緒に生活する師範達にとって、それは大変なことだった。自分の時間はほとんど無しで、24時間緊張しなければならず、会員さんのことばかり考えて、お金を稼ぐことだけを強要した。その過程で苦しくなるのは、各自の固定観念のせいだと思った。いや、私は本気でそう思った。
私は、自分のシナリオ通りに、回りの人々が自分を支えてくれることを願った。対外的に有名人になればなるほど、お金が儲かるということを、誰よりもよく知っていた私は、会員たちへの紹介文を自分で書いて、師範に頼んだりもした。こうした、私が会員管理に使った色んな方法は、指導者たち全員に公開された。私の会員管理の方法一つ一つ、祈り、センターの環境衛生のマニュアルに至るまで、全て、内部教育用の資料に使われた。

私と一緒に暮らしていた師範達は、そういう生活に長く耐えきれなかった。他の地院に配置されることを願うか、師範を辞めたがる人もいた。私の過ちを上司に告げたりもしたが、それは大した問題にはならなかった。むしろ、その人の方が精神力の弱さを叱責された。私の名前は、ダンハクの中では、ほとんど知らない人がなくなっていった。

私は、ススンニムの信任を得ていた。個別面談の時、ススンニムは私をご自身の分身だとおっしゃって抱擁してくださった。
そして、私はススンニムに胸を触られることがよくあった。
よく、お前はどうしてこんなに胸が小さいのって笑いながらおっしゃったりした。私は個人的に性について勉強させてくださるのだと思って感謝していた。しかし、段々つらくなっていった。私は、このことを誰にも話すことができなかった。私の行動と言葉はみんなのかがみだったし、また一方では、一度言い間違えたら、それが何倍も大きくなって自分に回ってくるので、言い出すことができなかった。

ススンニムからの褒め言葉は、自分の勉強法が正しいという話のようにも聞こえた。途中で脱落することはススンニムに迷惑をかけることだったし、私じしんも、こういう行き方をやめる自信がなかった。

しかし、本社で要求するお金は切りがなかった。100個以上のセンターの開設は、私たちにとっては、何があっても実現しないといけないビジョンだった。

もちろん、週末もなかったし、お盆など、伝統的な祝日にも指導者たち同士で過ごした。みんな、お正月やチュソク(日本のお盆のような韓国の伝統名節)に実家に帰らないのが普通となったし、本も、ススンニムの言葉をまとめたものしか読まなかった。ススンニムは、指導者たちの部屋に、ススンニムの言葉を整理したもの以外に、たくさんの本が置いてあるのを咎められた。そして、お正月やチュソクに実家に帰るなという指示が下った。私は、土日にある、指導者達の会の以外に遊んだりすると罪悪感を覚えた。私はススンニムの指示を最も充実に守った。すべての指導者たちが私のように行動しようとしたし、専らビジョンのために、いかにお金を稼げるかが会のメインテーマだった。いかに会員を成長させ、その会員に我々のビジョンのために必要なお金をたくさん出させ、禅院を開設するかが話題の全てだった。その他の話題を出す人は、みんなのやる気をなくさせる人、できない指導者とされ、厳しく非難された。

しかし、こちらで限りなくお金を要求するから、会員たちも段々減っていった。その当時は、お金を借用することだけがウォンサの仕事に回されていたので、一文化運動の限界を私は感じた。
私の身体はだんだん弱くなっていったし、私は耐えられないほど、寂しくなっていった。全指導者たちは実績で競争することになっていたので、彼らの間で、ひどくいがみあっていた。嫉妬、名誉心が澎湃とし、名望のある指導者たちの間では派閥争いが絶えなかった。

私は毎晩一人で泣きながら寝ることが多々あった。ススンニムは遠すぎたし、見習いたいサヒョンは一人もいなかった。サヒョン達は、専ら、ススンニムに認められること、それだけを求めていたので、サジェ達をうるさくつきまとって、実績を上げて自分たちのものにすることに汲々としていた。
 私は、そういうサヒョン達を見ていると吐き気がしそうだった。耐え忍ぶことが即ち悟りを得ることかといえば、それは違うという気がした。私の目には、サヒョン達が専ら辛抱することに必死になっている人達と、初めから諦めて、名望一つで、または話術で何とかやっていこうとする二つの部類にしか見えなかった。
 ただ一つ、ススンニムのお言葉なら、何でもやるという忠誠の心だけは凄かった。私は困惑していた。絶対、あの人達のようにはなるまい。絶対にそうはなるまい。毎日反芻して反芻した。私もこういう道に行ってはいけないのに、ますます空っぽになっていくだけなのに。。。私は次第に荒っぽい気性になっていった。一人になると、決まって師範達に悪口をたたいていた。私は苦しかった。こういう方向に行ってはダメだと喚きたかったけど、それは、いつも私を誉めてくださったススンニムに申し訳ないことだったし、それではどうすればいいかが分からなかった。私は一人で泣きながら寝る夜が前よりも多くなった。理想人間一世界が何なのか教えてくださいと祈りながら、泣いて寝た。しかし、私は以前と同じやり方で仕事をしていた。もうこれ以上、実績の面で私を追いつける人はいなかった。私はベスト地院長となった。私には‶毒種‶(性質が強情で口が汚い人を指して言う言葉)というニックネームが付いた。

私はイルサン(ソウルの北部の地名)センターを開き、その地院長となった。地院を開いた最初の月に6千万ウォンを送金し、会員数は100名を超えた。そして、地院の開設資金として1億を借りていた気がする。私は全指導者の授賞式での全体評価で、MVP地院長に選ばれた。ススンニムは、みんなの前で、私がご自分の分身だとおっしゃってくださった。私の祈り通りになったのだった。個別にススンニムがお呼びになり、もう一度、「お前は私の分身だ」とおっしゃった。「お前が誇らしい」ともおっしゃった。私には、これ以上希望がなかった。今の状態が私の祈りの果てなら、私は絶望だった。私は一人で辞めることを考えた。指導者達は、実績の競争にいがみ合ったり互いのことを中傷したりした。重要な会員が、指導者たちに責められないためには、自らが指導者となったり、財産を寄付したりするしかなかった。もう終わりが見えなくなっていた。いつも最高の緊張状態だった私は、次第に疲れていった。

しかし、次の年のビジョンは、また360個の地院開設と一文化家族1万名、各地院当りの送金1000万ウォン以上だった。彼らは、ダンハクの組織を拡大することによって、理想人間一世界を造らなければならないと言った。私は疑わしかった。自分は偽物だったし、もし一世界がダンハクの複写版に過ぎないのなら、むしろない方がましだと思ったが、それを口に出せば恩知らずの人になっちゃうし、また、自分はまだこの世の中をよく知らないと思ったので、そう話す自信がなかった。

ススンニムの恩を最もたくさん受けた人として、私は、どう辞めれば組織に害を与えないですむかを考えた。指導者達の間では、性的なトラブルが絶えなかった。ススンニムは、公式的な場で、3年間、肉体的な接触を禁ずるとおっしゃった。そして、それぞれの地域毎に集まって、ポルノグラフィーのビデオを一緒に見て、霊的トレーニングをして性的な気を払うようにとおっしゃった。強姦は絶対にダメで、会員との性的な関係を持つことを禁ずるとされた。

ある日、指導者の再教育のプログラムに行ったその日の夜、ちょっと息が詰まりそうだったので、車を持ってきた男のジョンサと、こっそり外に出て一杯した。帰りの車の中で、その人が私にキスしようとした。その時、私は極度に敏感な状態だったので、その状況が耐えられなく嫌だった。その数日後、私が面倒を見て師範にさせて、教育後には私の地院にスカウトしてきた、私が心から愛していた師範が、私を母だと思ってくれた師範が、私に反抗した。

私は、地院を出て地域長の地院で数日を過ごした。私は自分の過ちを知っていた。しかし上部は、その師範を下克上の罪で処罰しようとした。私は、他の地院にその師範を行かせてあげることを頼んだ。自分自身が耐えられなかったので、指導者に入る前に付き合っていた人が暴力団の人で、突然訪ねてきて困らせていると言った。それで休職しなければならないと言った。私は引き継ぎもせずに組織を出ることができた。勿論、それは嘘だったが、きっと皆が私を引きとめようとするだろうし、その間が耐えられそうになかった。

私は、本当につらかったので、しばらくの間も我慢できないと思った。私の給料は、最初月8万ウォンだったが、その頃は、おそらく月20万ウォンくらい貰っていたと思う。私は最初、センターで経理の業務もしていたが、その時間がとても勿体ないと思ったので、毎日はしなかった。それから、月末に清算をすると、いつもお金が足りなかった。それで、自分のクレジットカードで足りない金額を埋めたりしたので、借金が多かった。
後で、実績によるボーナスを何度かその月の給料に含めて貰ったりもしたが、その当時は、地院のパソコンを、本社で購入してくれなかったので、私は、自分のクレジットカードでそれを購入したので、借金が返せなかった。ウォンサ達から、一度ずつ、支援金として、ちょっとしたお金をもらったりもしたが、うちの組織のルールでは、そういうお金は全部本社に送らなければならず、個人的に使ってはいけないことになっていたので、私の借金は減らなかった。

私は休職願を出した。指導者になってからは一度も実家に帰らかったし、連絡も滅多に取らなかったので、休職後、実家に帰るのが何となく気まずかった。母親が再婚していたので、心配をかけたくなかったという理由もあった。当時、弟は軍隊にいたし、兄ともずいぶん前から連絡を取らなくなっていた。私はホテルの部屋で、1週間を何も食べず、外出もせずに、ずっと寝ながら過ごした。ぐっすり寝て、起きてみたら、気持がすっきりしていた。原点に戻って、勉強をやり直したい気持になった。

実際、他の選択肢はなかったので、今度は、食事をしながら三日を寝て、組織に復帰した。その人との関係は終わりましたと言って、他の地院に発令が出るまで、暫く休んだ。その期間中にアンクク地院のジョンサが内緒で結婚しようとする人と、モアク山に数日間、遊びに行った。

その当時、うちの組織では、公式的に結婚を認めなかったので、彼らは皆に内緒で結婚しようとしていた。その女性は元指導者だったが、職を辞めて、私がウォンダン地院長をやっていた頃に再び会員となって、結婚のことを私に話してくれたが、私が休んでいた頃に偶然、地下鉄でばったり会ったので、その足で一緒にモアク山に遊びに行ったのだった。結婚の日取りを決めたそうだった。私は、それを地域長のチョンヘジャンに報告した。地域長はススンニムに報告した。ススンニムは、私に電話をされた。

「結婚するのは、私を裏切ることだ。アメリカに渡って来い」との伝言を頼まれた。

私は、ススンニムご自身が直接、彼女にお電話をしていただけませんかと言った。そのジョンサは、ススンニムからお電話があったと言った。そして、私に、自分は結婚しないと言って、アメリカに行ってしまった。私は(ススンニムの)背信という言葉が、非常に耳に逆らう気がした。どうして結婚するかしないかの問題に、命令服従、不服従に背信という用語を使われるのかが気になった。もしかしたら、私が告げ口をしたのが間違っているのかもしれないと思った。

イルサン地院で、熱心に公的な仕事をしていた、女のウォンサさんが妊娠した。ボブヨンジャン(女性)に、赤ちゃんを産んだら仕事できないから、中絶するべきかそれとも産むべきかを聞いた。ボブヨンジャンは、命は大切だから生んでくださいと言った。そのウォンサの方は、地域長にまた聞いてみた。

チョンヘジャンはその件をススンニムに尋ねた。ススンニムは中絶しろとおっしゃった。ボブヨンジャンは、自分は納得がいかないと言った。しかし、数日後、ボブヨンジャンはススンニムのことばを筆写本で記録したものを読んで、ススンニムがそうおっしゃった理由が分かったと言った。私には理解できなかったが、その後も、祈りの文句は、そのまま「理想人間一世界のために殉教します。見えない基肥となって、ススンニムの分身として働かせてください」だった。

いや、一つ付け加えられた。偽物ではなく、純金にさせてください、と。その当時、水ばかり飲む女性(上丹田が開いた)について書いた単行本をうちの出版社で作った。ウォンサ達がその女性を訪ねたりして、有名になった。ススンニムはそういう人を作ろうとしていた。彼は、私をお呼びになった。

「お前を最高のスターにしてあげる。お前には、生まれつきのエネルギーがある。お前は独特だ。お前のエネルギーはお前の目を通して見える。100日間、地院でトレーニングをして、お肉は食べるな。そのトレーニングが終わったら、こちらから電話する。その後、私がトレーニングの成果をチェックして満足できたら、お前をセドナに呼ぶ」

そして、お前は歯が白くなるといいとおっしゃって、歯を白くしてくれる歯磨きをプレゼントされた。私には、自分がダンハクの商品になるということが分かっていたが、先ず、現在の実績へのプレッシャーから逃れたかった。それで、その提案がすごく嬉しかった。私は、セドナ旅行チームに入った。飛行機で、チンアムジャンがお金の入った封筒を渡して、忘れないようにねと言った。限界金額なので、各自が持っていて、アメリカに着いたら回収するから、忘れないようにねと言った。前回は、ある指導者が飛行機にお金を置いたまま、降りたことがあったという。チンアムジャンは、到着後、封筒を回収していった。

私は、それが外貨密搬出であることを知っていたが、アメリカを開拓するためには、当然だと思った。全てのことを法律通りにすれば、アメリカ開拓はできないと思ったし、そのようなことが問題になったら、ススンニムが刑務所にまで行かれることになるのに、そういう危険を感受してまで、こんなに頑張っていらっしゃるのが、むしろお気の毒に思えた。
私がなすり付けることができれば、必ず自分が責任を持ちたいと思った。とにかく、私はその後、アメリカに出張に行く度に、同じ方法で、チンアムジャンや一世界旅行社の職員にお金を集めてあげた。

しかし、今は考えが違う。ススンニムは、あまり急がれたため、便法を使われたのだと思う。方法は他にも十分あったのに便法で解決しようとしただけだと思う。本当にアメリカを開拓するには、適法ではないと無理だということ、私たちの枠だけで世界を変えるのは虚しい夢であり、そのような行為を指導者達にさせることで、私たちはいつの間にか政府が我々の敵であるかのように感じるようになった。それは、目的のためには、手段はどうでもいいと教えられるのと一緒だった。そして、私たちは、いつかは政府から理解してもらえないで、害を受けるだろうと思っていた。

それは、もし、私たちと一緒に住んでいた裏切り者が、政府にススンニムに関する情報を提供することがあるかもしれないと思ったからだった。
そういう考えを抱くようになったのは、私がダンサになったとき、ある会員が、外貨密搬出について私に強く抗議きてきたからであった。私は、もしかしたら自分が間違えた考えを持っているかもしれないと思って不安だった。なにより、ススンニムがあまりに急いでいらっしゃるのではないかと気にかかった。よい種を巻いておくより、ススンニムご自身の代に、ご自身がすぐに成果を得たいと思っていらっしゃるのではないかという気がした。
真心を込めて弟子を育てるよりは、結果を得るのに弟子を手段として活用しているという印象をいつも受けていた。しかし、また、〈チョンシ〉(神様によって叶えられる機会の時間を意味する)という言葉に惑わされた。

チョンシ、チョンシが迫ってきている。だから、こんなに急ぐのだ。分別心があっても、チョンシというのは悟った方だけが分かるものなので、私はこの大意に用いられること自体が幸福だと思ったし、そのまま辛抱して頑張って生活をした。
私は、自分が最も好きな、ダンジェジャン、アリジャンと一緒に、数日間を過ごした。二人の友情があまりに美しく思われたので、遠くで見ているだけだったけど、同じ空間にいることだけでも私は幸せだった。私は、理想人間一世界が何か本当に知りたいと聞いた。ダンジェジャンは、小学生が大学生の質問をすると答えが分からないとし、これまでは、前の目標だけを見て走ってきたから、ちょっと休んでから、トレーニングした方が良いかもしれないと言った。

アリジャンは無条件的に私を信じてくれた。私は本当にアリジャンが好きだった。ただ好きだった。私は、いつか必ずアリジャンと一緒に住みたいと思ったし、絶対そうしようと思った。私はススンニムと面談をした。ススンニムはダンジェジャンと同じことをおっしゃった。ダンジェジャンが報告をしたようだった。

数日間、休んでよく食べて運動しながら体力を補充した。21日間の霊的トレーニングをした。断食をしたけど、ずっと起きたままではなく、たまに寝たりもした。セドナのエネルギーがもともと良かった上に、私の、霊的なエネルギーを感得する能力は生まれつきだったので、数多くの気的・霊的な体験をすることができた。そして、たくさんの感覚が開かれた。しかし、一方でまた、真理はあまりにも単純なものだという気がした。このたくさんの体験を通して、私はこれまでよく知らなかった宇宙の情報を得ることができたが、結局、真理とはあまりにも簡単なものだということが分かった。私は、この体験が、実は悟りとは関係ないものだと思った。その考えは今でも変わらない。私はただ、霊的トレーニングの体験をしただけなのだ。自分が感じた真理を最も現実的な方法で実行できるように場を設けて下さった、ススンニムに感謝する。私は本当に幸せだったと思う。それまで自分が分別できることは胸に畳んで置いた。ススンニムは、試行錯誤をなさっているだけだ。現実世界におけるススンニムの経歴は、この世の中を現実的に救い出せるような大きな経歴ではなく、彼はただ試行錯誤をなさるだけなのだ。世間的に実力のある弟子たちを養成して差し上げたいと思った。そうなれば、全てのことが解決できると考えた。しかし、一つ、人を高貴でない、ただの消耗品として考えていらっしゃることだけは、ずっと気にかかったが、賢明な人は元々冷たいものだ、天は冷静だ、あまりにも大きい愛なので、人間的な感情ではそうでしか感じられないのだと思った。

ススンニムは初めて私を公式的な〈法弟子〉(教意の具現として認められた特別な弟子)に認可され、国内で、ススンニムご自身と、ビョクウンジャンを合わせた役割をしろと指示なさった。それから、断食院を運営し、薦度祭を皆がやるように活性化させることを命じられた。ウォンサ達に、これまでダンハク禅院を導いてきたことの中で、最も嬉しいことは、私が造られたことだとおっしゃった。ソンアムジャンは、全指導者たちの集まりで、全ての指導者が私にサムベ(三拝、三度挨拶すること)をするようにとススンニムが直接ご指示なさったと知らせてくれた。指導者たちは、みんな競い合うように私に来てサムベをした。会員達も、ススンニムに対して備える礼を、私にも同じく備えてくれた。

しばらく経って、ソンヤムジャンから電話があった。
「求心点が二つではダメだ。各個人からは三拝を受けてもいいが、10名以上、団体で集まった時は受けないようにして」

私はそれが嬉しかった。拝されるということが、どれだけ私を気重くさせたか知らない。私は手紙を書いた。「これからは誰からも三拝は受けません。21日間の霊的トレーニングを外部の人たちはみんな何も食べないで寝ないでするものだと思っています。事実通りに話したいです」
しかし、ススンニムは何もおっしゃらなかった。私はそれを、そうするなということと受け止めた。

薦度祭に参加する人数は段々増えていった。うまく行く時は、それだけで2億を超える時もあった。薦度祭は現金で貰った。銀行送金というやり方ではなく、現金で持ってくるようにした。秘書室で一月に二回それを貰っていった。そのお金は、アメリカのススンニムの研究費として使われるという。勤務する指導者たちは皆ダンハク禅院に辞職願を出し、大倧敎の所属として別に給料を払った。

チョンイルアムという名前をススンニムから授けられた。断食院の運営も順調に進んでいた。断食院に勤める全ての指導者はダンハク禅院の所属だったが、税金の問題で個人が事業者登録をしたので、禅院を辞職させて別に給料を払った。
うまく行く時は、月1億以上の収入をあげた。この収入は、唯一な禅院の不正資金になるそうだった。私はミルヤンに断食院をもう一つ開院させ、基本的な収入を現金でたくさんこしらえてススンニムに差し上げた。
しかし、私の一番の関心は、世間的に実力のある人たちを、ススンニムの弟子にすることだった。お金も、大きい金額でこしらえて差し上げたかった。私はいつも経済的に赤字だということだけ耳にしていたし、あまりにお金に追い回されることばかり経験してきたので、お金の問題なら、もううんざりだった。もしかしたら、この世の中のお金を全部私たちが自由に使えるようになってはじめて、お金のことで悩まなくてすむかもしれないという気がするくらいだった。
なぜなら、理想人間一世界のためのお金だから、この世の中が、理想人間一世界になるまでは、お金が限りもなく必要になるだろうから。
私は、若いサジェ達にお金のことでプレッシャーをかけたくなかった。サジェ達に人を金に見ないで本当に愛しなさいと言ってあげたかった。しかし、上からプレッシャーを与えられたらそうなるしかないということを自分の経験から知っていたので、その話は事実、門中を離れなさいということと一緒だった。

私は、本当にサジェ達にお金に喘いでほしくなかった。しかし、表では、私も常にお金のことを口にしていた。それが私をつらくさせたし、(組織について)疑いを抱かせた。

もう一つの理由は、ススンニムの近くに有能な方がたくさんいてほしかったということだった。この二つの理由で、私はVIPの管理を始め、その方たちのためのたくさんのトレーニングプログラムを作った。
私が直接指導した。その方たちはススンニムに紹介されて、私たちの団体の重要な部分を手伝ってくださった。また、私もその方たちから沢山のことを学んだ。

先ず、その方たちが指摘されたのは、第一点目、ダンハクの内部指導者達が可哀そうだということ。この団体は、若い指導者たちの熱情と愛で支えられているだけだ。内部指導者たちのための、いろんな福祉、(世間的に役に立つ)教育などが優先されなければならない。

第二点目、この組織が政治的な方に傾いていくのではないか疑わしい。宗教団体の形に方向を転換するのもいいかもしれない。政治の方面には、絶対に関心を持たないでほしい。純粋に行ってほしい。

第三点目、ススンニムがこの世の中との取引に慣れていらっしゃらず、ちょっと焦ていらっしゃること。この部分は、その方たちがプライベートで私たちの団体を評価しながら、私にしてくれた中で、共通する点だった。
キム・ジハ先生も、私が直接指導した方だった。私は自分なりに整理をしてみた。デウォンジャンは、内部指導者達の福祉と教育などに興味があって、そういう方に向けさせるために努力していた。私はデウォンジャンを支えて上げたいと思った。デウォンジャンは、私たち門中の仕事を処理しながら、私にたくさんの意見を聞いて来られた。私はデウォンジャンの方針が正しいと思ったし(今でもその時に処理したことは本当に良かったと思う。その点はデウォンジャンに感謝する)デウォンジャンが望まれるとおり、ススンニムに直言をして、彼の決定をひるがえて差し上げたりもした。

第二点目に関しては、ススンニムに直接うかがってみた。たくさんの人々が、私たちが政治に関心があるのではないかと思っている。ススンニムは公式的に否定された。

「私は政治に関心がない。しかし、たくさんの政治人を育てて、彼らが正しい政治をするように育成したい。どうせ、政治を動かせないとこの世の中は変わらない。しかし、自分はそういう仕事に直接は関与したくない。たくさんの人たちを育てるつもりだ」と何度も強調しておっしゃった。
第三点目は、本当にススンニムが信じて仕事を任せることのできる、有能な人を弟子にして差し上げればいいと思った。私は祈りの文句を変えた。保護する神明をチョンモニム(私たち人々のために生き、亡くなられた人物)に変えた。率直に言って、私は悟りを得ることへの個人的な興味はなかった。私の決めた使命を完遂するために、神明でも保護霊でも、自分が活用すればよかった。チョンモニムの神明は人たちもそんなにたくさん活用していないし、修行を通して悟りを得た方だし、この民族を本当に愛する方だった。私が欲張らず、純粋に民族を考え、人々を考えるならば、私に大きな力になってくださる大きな方だった。ススンニムも薦められた神明でいらっしゃった。

「チョンモニム、ソンファジャンです。理想人間一世界のために殉教します。どうぞ自分が知って犯した罪と知らずに犯した罪を全て許してくださり、この民族と人類の魂を解寃させる使命を完遂できるように助けてください。そして、ススンニムの周りに有能で信頼できる弟子たちを集めさせ、望まれることが叶えるようにしてください」毎日お祈りし、トレーニングをした。そうしたら、願ったことが全て順調に進んでいった。私が望んだたくさんの方たちが弟子に入ったし、また、周囲からもたくさんの方たちが純粋に私たちの仕事を積極的に手伝ってくださった。キム・ジハ先生もうちの仕事を受け持ってくださることになった。

しかし、私はススンニムその人に対して、表に出して言えなかったけれど、少しずつ疑いを抱きはじめていた。

第一点目は、性的な問題だった。全ての悟った人(文脈の中ではススンニム)は性問題を挙論した。そして、それを直接、教え子たちに教育なさったと知っていた。私は、これまであった、たくさんの噂をはねつけた。そして待った。そうした勉強を経験した人たちの成長した結果を待ったし、私が最も愛するアリジャン(アリジャンは私のことをこんなに愛していない。これは私の一方的な感情である)の結果を見ようと思った。その結果で、これが性の勉強かセクハラなのかを決定するべきだと思った。
それから一つの事件があって、これは絶対ススンニムが間違っているのだと判断した。私が直接扱っていた件は、シン・ミジョンジョンサの件だった。シンジョンサは、他の指導者と一緒に私を信頼してくれた。私も個人的には彼女を愛している。今でも。これもまた一方的な感情ではあるが。彼女が私に面談を要請してきた。ソウルで会ったけど、私にいろいろなアドバイスをしてくれた。

「ジュンサンジャンとうまく行けばいいね。事業にあまり集中せずに、会員達、指導者を助けることを重点的にやってほしい。私が管理するVIP達がススンニムと繋がりを持たず、私と個人的につながっているのは間違いだ」
と、シンジョンサは言った。私は、最後の部分は事実と違うと説明し、その他はそのまま受け入れた。私の問題点だった。そして、彼女は、それまで本人の生活してきた話をした。

「ススンニムが広報チームの状況を報告しろと指示なさった。それは仕事をしろということではないので、私は仕事を見習おうとは思っていない。仕事する雰囲気を作っている。定期的に報告している。雰囲気がだいぶ良くなっている」

昨日は私とチンミョンジャンとノ・キョンミンと三人で性的な関係を持った。互いに解寃し、一緒に泣き、心からススンニムにお祈りを捧げることができた。…そのように解寃できた指導者達には専らビジョンだけが残り、ススンニムだけを考えるようになる。…最近は思う存分寝られるといいなと思っている。…3地域長のジョンサに後で電話してって言った。3地域長は笑いながら恐いと言った。私たちの名前は寄生組織だ…」

私は状況がだいたい想像できた。ススンニムに報告したのって聞いた。彼女は報告したと言い、その内容を私に見せてくれた。内容が抽象的で、詳細は多分ご存じでないだろうと思った。答えはなさったのと聞いたら、何の返答もなかったと言った。私は、率直にいって、それまでどうやって性を勉強していいか分からなかった。それで、賛成も反対もせず、一所懸命に話を聞いていた。いや、実は、心の中で肯定していた。「あ、そうやって性の勉強をすればいいのだ」
ススンニムが韓国にいらっしゃった時に、私は二つのことを聞いてみた。
「指導者たちが私を指して血も涙もない冷血漢だと言っています。専らビズネスに熱中している私がこのようなやり方で進めていってもよろしいでしょうか?」
「そうだ。お前はそう行くべきだ。私はお前が毒種で全体を考えながらも冷静である点が好きだ。このままでいい」
「シン・ミジョンジョンサがこうやって性の勉強をしています。そうして、ススンニムとライン化させています。そうするのが正しいのですか?」
「毎晩をそうしているってことか?」
「そうみたいです。だからあんなに痩せっぽちなのでしょう」
「性の勉強は、そうしてできるものではない。私もいろいろな方法でやってみたけど、そうしてできるものじゃない。だから、昔からへその下のことは話すものではないと言った。しかし、組織に害を与えたわけではないから、伏せて置こう」
「たくさんの指導者達が性にかかっていて、間違ったことを本当だと思っています。ススンニムが一度全体的に整理なさるべきだと思います。自分も彼女の話を熱心に聞いておりましたので、このことに自分も賛成しているのだと思っているのかもしれません」

チョンファウォンに、または各地域に女子一人、男子一人を置き、部屋を作って一週間に一度特別ファルゴンの日を決めてその人たちに申請したら、その日はただ特別ファルゴンとしてその人と一緒に寝られるということにしておけば、問題が解決できるのではないだろうか。
お前が責任持って推進してみなさい。お前も性にかかっているのではないか?

とおっしゃりながら、胸と身体の大切な部分を服の上から触られた。私はできませんと申し上げた。数日後、イコンホジョンサが面談を要請してきた。

「性の勉強をどうやればいいか。僕はノ・キョンミン師範と付き合ったけど、最近は本当に指導者を辞めたい。ノ・キョンミン師範はシン・ミジョンジョンサに言われた通りにやっているようだけど、彼女はたくさんの他の男とも寝ることで、霊と魂の分離、その他のビジョンに整理をしているようだ。僕が執着を持っているのがダメだと言われたけど、全く気が狂ってしまいそうだ。夜、車に乗ってハンガンに行って、俺が執着を持っているとして大騒ぎだった。俺に他の女と寝てくれと言うのだけど、どうしたらいいか分からない」

私はススンニムがおっしゃった内容をそのまま伝えた。
数日後、デウォンジャンから連絡があった。
「金ジェウォン副会長から電話があったが、シン・ミジョンは気が狂っているに違いないという。他の人たちも彼女に神気が入ったといって大騒ぎだ。その噂が本当かどうか確認してくれ。ナム・ソヒョン師範を呼んで話を聞いてみるがいい」

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